ここのところ資格試験を受けたりでなかなか読書する余裕がなかったのですが、終わったので久々に小説を読み切りました。
前回のデミアンに引き続き今回も海外文学です。
今回読んだのは誰もがその名を聞いたことがあるのではないか、カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』です。
ドラマ化されていたこともあってかこの作品のタイトルは知っていましたが、これまであまり興味を持つ機会がなかった作品でした。
この度読んでみようと思ったきっかけは書店のポップに書かれていた紹介文に惹かれてでした。
この本の裏表紙の紹介文に「全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作」と書かれており、そのポップには「この紹介文の例に漏れず、自身も読書体験で初めて魂を揺さぶられた」というような趣旨のことが書かれていたように記憶しています。
それで「わたしも読書で魂揺さぶられてみたい!!!」と思い買ってみました。
この作品をまだ知らない方はネタバレなしで読んだ方が楽しめると思いますので「ここからネタバレ」以降はぜひ読んでから見ていただければと思います。
作品について
読後の感想としては、じわじわと深い傷を負っていることに気づかされるような作品でした。
これを書いているのは読み終えた翌日なのですが、読んでいたとき以上に読み終えて私生活を送るいまの方がずっと苦しい気持ちなんですよね。
そうゆう作品はたまにありますが、とても不思議な感じ。
なんでかな?と思ったとき、この作品があまりにも淡々と語られているからじゃないかと思いました。
この物語は主人公のキャシーという女性の視点で語られています。
このキャシーはとある施設で育てられてきており、その生い立ちを振り返るような形式の物語になっています。
現在に至るまでの出来事から明かされる真実はあまりに衝撃的なはずなのに、語り手であるキャシーはもっと感情的になっておかしくないはずなのに、淡々とこれまでの出来事を伝えていきます。
最後まで読み終えたとき、このキャシーの淡々とした口調が受け入れざるを得ない使命に対する、自分の人生に対する、諦めゆえともとれることが余計に苦しかった。
物語のテーマは「科学と倫理」といったらいいのかな?
読み始めは「約束のネバーランド」のイメージで読んでいたのですが、読み進めていくと垣間見える恐ろしさはなんとも自分のすぐそばで起こっているような出来事のように感じられて、ファンタジーなお話ではないと気づかされます。
もう人類はその技術の一歩手前まで来ているからこそ現実味があって、恐ろしい。
恐ろしいのだけれど、もしその技術で自分の大切な人が助かるなら、自分はその術を使わない道を選べるだろうか?という自分自身の怖さにも気づかされるところがさらに恐ろしい。
話の構成と言い文章表現と言い、さすがはノーベル文学賞作家さんの作品だなという印象でした。
その技術の凄味と物語の内容と二つの意味で恐ろしい作品です。
「いいお話だった~~」とかそういう気持ちからではなく、「読んで本当に良かった」と心から思います。
さて、ここからは私がこの作品を読んで感じたことについてもうすこし踏み込んでお話しようと思います。
そのため、少しでも読んでみようという気持ちがある方には、ぜひここから先は作品を読み終えてから読んでいただきたいです。
この作品は絶対にネタバレをしない方がいいです。
読んでいる間と読み終えたときに見える世界が変わると思うので「知らない」を大切に読んでほしいです。
読み終えたら、ぜひ感想を共有しましょう。
****ここからネタバレありです!****
あらすじ
内容に触れる前に簡単にあらすじを。
物語は主人公のキャシーという女性が、ヘールシャムという施設で育ってきた過去とそこで一緒に育ってきたルースとトミーという二人の友達との人間関係を中心に様々な思い出を振り返る形で淡々と語られていきます。
語られている人間模様というのもそれほど大きな事件などでもなく、
グループで話しているところに入っていったら不穏な空気になってイラっとしたとか、
相手がぜったいわかっているくせに嘘をついてるのがわかってイラっとしたとか、
私たちが生きていれば誰もが日常で感じたことがあるであろう些細な出来事が語られていくだけなんですよね。
また、このヘールシャムという施設についても実体はよくわからないまま話は進んでいきます。
どうやらただ親がいない子供たちということではなさそうだ、ということだけは早い段階でわかりますが、本当の目的が明かされるのは最後の最後です。
で、ここでは結論を言ってしまうと、この施設は臓器提供のために作られたクローン人間を育てるための施設でした。
怖いですよね、、、
こうやって自分で文字にするとまた怖いな笑
この作品を読んで
「できること」と「しないこと」
この本を読んで一番刺さった言葉が次の一言でした。
癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?
不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?
そう、逆戻りはありえないのです。
あなたがたの存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことの方が大事なのです。
『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫 p401)
この言葉がすごく刺さりました。
科学の進歩は本当にすごいスピードで進んでいますよね。
今や当たり前のように生活の一部となっているスマートフォンだって、ガラケーでカチカチメールをするだけでもドキドキしていた中高生の頃には、画面に指で触れて操作できる携帯電話なんて想像もできないようなハイテクなものでした。
それが一瞬にして日常に塗り替わるのです。
この作品を読んで、自分はそうゆう時代にいるのだな、と改めて気づかされました。
そして、私たちがスマホを手放せなくなったように、ひとたび進んでしまえば簡単には戻れない。
自分ひとりであれば意志次第で戻ることはできるかもしれないけど、一度社会に広まってしまえば様々な考えが衝突することは絶対に避けられないことです。
「できること」と「しないこと」を決めるのは私たちです。
私はそんな大きな決断に携わるようなことはないですけど、日常生活の小さなことの中でもこの「できること」と「しないこと」を決める瞬間は山のようにあるなと感じました。
そこでどんな選択をするかが私という人間の本質なのかなという気づきが、この物語を通して一番考えさせられたことでした。
「できるけどしない」をきちんと判断できる大人になろうと思います。
後から苦しくなる理由
始めの方にも書いた通り、この作品は読み終えた後じわじわと深い傷に気づかされるような感情になります。
つまり、じわじわと胸が苦しくなるのです。
読んでいる間はそうでもないのに。
なぜだろう??
と、読み終えてからちょっと考えてみました。
わたしはいつも読書をアウトプットするために心に響く言葉や気になる箇所に付箋を貼りながら読み進めるのですが、今回は圧倒的にその付箋の量が少なかったです。
読み終えてからなんでかなと振り返ってみたときに、その理由はこれかと気づきました。
物語の7割くらいはなんともない日常的な出来事が語られているだけなんですよね。
だから付箋の量がいつもより少なかったのだと思います。
ただ、後になってこのことがどれだけの意味を持つのかということがわかると、この作品のすごさを実感しました。
物語の終盤で施設の保護管からこの施設の目的、ひいてはキャシーたちが自分たちの使命を聞かされる場面で次のような一言があります。
ここに世界があって、その世界は生徒の臓器提供を必要としている。
そうであるかぎり、あなたがたを普通の人間とみなそうとすることには抵抗があります。
『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫 p402)
この発言を否定するための300ページだったのか、と。
これだけ、友達や異性との関係に悩み、
他愛もない会話に喜びを感じ、
好きな人と愛し合い、
それでいて普通の人間と何が違うのか?
ここまで読んできた読者には、もうそう思わざるを得ないわけですよ。
この子達は自分たちと何が違うのか?と。
30歳にもなれずに何度も何度も苦しみに耐えて自分の身体を提供しなければならないのか。
ルースが亡くなる場面は、読み終えて1週間近く経つ今でも脳裏に焼き付いて離れないです。
それくらい、なんかすごい作品でした。(語彙力。。。)
もう少し時間が経ったら、また初めからじっくり再読したいと思う作品でした。