今回は『行動学入門』(文春文庫)に収録されている『おわりの美学』から気に入った章をピックアップしてみました。
この『おわりの美学』では「終わり」の観点から、著者があらゆるものの考え方を述べているエッセイ集です。
三島由紀夫ならではの風刺のきいた文章で、日頃のクヨクヨとした悩みをグサグサとぶった切ってくれるので、読後はちょっと新しい自分になったというか、生まれ変わったような気持ちになれる一冊です。
流行のおわり
この章では「流行の儚さ」を思い知らされました。
過ぎ去ってダサいと思っていたものや、
今思うと小恥ずかしい過去の自分のことも、
この章を読み終わるころには宝物のように感じられる。
そんな「流行」の美しさを教えてもらえる章でした。
流行の儚さとかけがえのなさ
この章で教えてくれているのはずばり、流行というものの儚さとかけがえのなさです。
流行とは、ただ「流行っていたもの」ではなく、
その時間にそれに熱狂した自分の情熱も含んでおり、
たとえその流行が戻ってきたとしても、現在の自分が再びその熱を当時と同じように持つことはできない。
その意味で、流行とは儚くて、かけがえのないものなのです。
読むと何かに熱中したくなる
この章を読んで感じたのは、人生で何かに熱中するって、美しいなってことでした。
そんな、熱中できることがある幸せに気づかせてもらえたので、
そうゆうものを見つけてみたくなる章でした。
学校のおわり
学校や学歴というものの存在意義に関する三島由紀夫の考えにハッとさせられる章です。
この章に書かれている考え方は、長い間学歴主義が根付いている日本の価値観からすると、日常で簡単に変えられるものではないかもしれません。
しかし、人生を豊かにする第一歩になることは間違いないと感じました。
これを東大を出ている人が言うからカッコいいんですよね。
学校のおわりは卒業ではない
「学校のおわり」といえば一般的には「卒業」ですが、
著者は、ただ学校に通って、単位を取って、卒業証書をもらうことが卒業ではないと言っています。
本当の卒業とは「学校時代の私は頭がヘンだった」と気づくことである。と。笑
どういうことかというと、
学校を卒業したことに満足して向上心を失えば、
下降の一途をたどるわけで、学歴はなんの意味もなさなくなる。
それは、本当の意味で卒業したとは言えないのだと。
この章で言っていることはそうゆうことかなと解釈しました。
学歴は忘れよう!(笑)
私はこの章を読んで、学歴を排除できることは、物事の本質を見極められるようになる第一歩なのではないかと思いました。
高学歴の人が言っていることからスゴイ。
低学歴の人が言っていることだからオカシイ。
極端な例かもしれないけど、意外とそんなフィルターで見ている場面ってあるんじゃないかなと思います。
ITの進化と共に働き方も多様化し、個人が活躍できる場が増えてきた今、学歴の価値は一昔前と比べれば明らかに軽いものになってきているとはおもいます。
しかし、やっぱり就職活動や転職活動を経験した身としては、その限りにおいて学歴はある程度の効力を発揮するのが現状だと思います。
でも、そんな基準で物事を判断するのは思考停止の状態であって、人のことも尊重できない人になってしまう。
人は常に変わりゆくものだから、人格だって常に変化し続ける。
特に精神が安定していない青年期の結果は、その後の人生において効果があり続けるはずがない。
それを理解して人の話を聞ける人というのは、物事の本質を見極められる人であり、他者を尊重できる人である。
だから、日常生活において学歴の概念を排除することは、実は幸せへの第一歩なのではないかなと、気づかせてもらえた章でした。
個性のおわり
この章は、自分のコンプレックスが少し、いやものすごく価値あるものに思える章でした。
個性とは美の反対語
個性という言葉は、基本的にはあまり良い意味を含んだものではありません。
書かれている例で、美容相談欄などに
「あなたの個性美を活かしましょう」と書かれていれば、
それは、
「あなたのペチャンコな鼻の魅力を活かしましょう」とか、
「あなたの短い太い足を活用しましょう」とかの意味にすぎません。
と書かれています。笑
個性とは何か?
では、個性とは何なのか?と言えば、
それは「弱味を知り、これを強みに転じる居直りだ」と著者は言います。
鼻が大きすぎたら、世間をして「鼻が大きいほど魅力的だ」と言わせるまで戦いに戦い抜くこと。
それが「美」に対抗する「個性」の性質なわけです。
しかし人間だから、いつかは戦いに疲れる。
いつまでも勝つ見込みがなければ、自分の個性に疑問を抱くようになる。
個性とは、自分と世間との間の永遠の戦いであり、この時人々は個性というものを捨てたくなる。
それが個性だと言います。
要するに、「個性的」ってやっぱり誉め言葉にはならないのです。笑
それでも個性は最高に美しい
個性をここまでけなしておきながらも、著者の結論としては、
「美の規格を外れた鼻に絶望して、人生を呪っている女の子のほうを愛します」と、
つまり、個性が美に敵わないものとした上で、個性の方を愛すると言っています。
それはなぜかというと、
それこそが「生きている」ことの証だから。
この章は次の一文で終わります。
だって、死ねばガイコツに鼻の大小高低など問題ではなく、
ガイコツはみんな同じで、それこそ個性のおわりですからね。
たしかに。
個性で戦おうとしなくていい。
個性を好きにならなくてもいい。
ただ「生きている」
それだけのことが、どんなに美しいことなのか。
人は死を迎えれば骨になり、嫌でもみんな大差はなくなります。
それを考えたら、やっぱり自分の嫌いな自分の個性も、少しは愛おしいものだと思えてくるような気がします。